プロフィール
「人は何をしたいかではない。何をしてきたのかが大事だ」
耳の痛いこの言葉が、、晩年を迎えた身に重く付き纏う様になりました。
「プロフィール」という言葉は、ラテン語の「輪郭を描く」から生まれたフランス語と聞いています。
自分は「今まで何をしてきたのか」その越し方を明らかにすれば、自分のおおよその「輪郭を描く」ことになるのではないかと思い、以下にまとめます
まず、身過ぎ世過ぎの「仕事は何を?」は後にして、その前に仕事以外にになにをしてきたかを振り返ります。
約40年間 「骨董市」を巡って、日本の美しい古いものを集めてきました。
約30年間 漢詩と和歌を吟ずる中で、日本の美しい発声と言葉を追い求めてきました。
約20年間 和食にこだわり、美しい日本の伝統的食文化を広める活動をしてきました。
端的にいえば 日本の美しい「もの・言葉・食」に関わってきたことになります。
しかし、日本の美しい「もの 言葉 食」は、この40年程の間に大きく変わりました。
そして、日本人の生活様式がすっかり様変わりしたという悲しい現実をみせつけられた場所が「骨董市」でした。
骨董市では私たちの身の回りにあった素晴らしい手仕事による品々が、使われなくなったという理由だけで、廉価で売りさばかれます。同時に、そのすばらしい品々を作り上げた日本の伝統の技に感じ入ることもなく、気づく人も減るばかリです。
ならば、これらの品々に、今までとは違った役割を与えれば、「それらは、日常生活の中で再び価値と輝きをとりもどし、私たちを楽しませてくれるのではないか」という思いに至りました。
このHPの主題「忘れられゆくものに花を咲かす」の考えはここから生まれました。
二つ目の 美しい日本語の発音を追い求める活動の軌跡は。
レコード会社主催の全国吟詠コンクールに優勝したことをきっかけに、吟詠と吟舞の会を発足させました(近年、青蓮心流としています)
吟詠は美しい日本語で吟ずることが基本中の基本。そして美しい日本語で話すためには、アクセントや鼻濁音だけでなく、発音や、口の形まで意識した発声と語りが重要です。
綺麗な日本語で話したいというニーズは多く、就活の最大のイベントである面接を控えた若い方々だけでなく、終活を始めた若くない方々との詩吟の稽古風景がテレビ取材を受けて放映されたこともありました。
5年前には、NHKラジオ深夜便で「日本語の美しさを語る」というタイトルで文字どうり語らせていただきました。
三つ目の、和食にこだわり、美しい日本の食文化を広める活動の軌跡は日本の食も大きくかわりましたが、自分自身の食は玄米菜食を基本としています。
その実行者としての視点から、日本の食に係る様々な問題を、雑誌「カレント」誌に毎月、約10年にわたって連載しました。
また、講師を依頼された講演会の後、参加された方々からの依頼で料理を教えて欲しいというご要望に応えて、料理教室を開催するなど、まがりなりではありますが、食に関する理論と実際を遂行中です。
その結果は体に現れて。身長182㎝(最近は2㎝減って180㎝)体重69㎏ウエスト78~80㎝。この値を20年間 変化なく維持できています。
身過ぎ世過ぎの
大学時代 演劇学を専攻し、舞台、演出 ナレーション 伝統芸能を学ぶ
社会人時代 広告代理店に入社し、外国部、ラジオテレビ部などで実務を経験
友人の勧めで医療機器業界に転職その医療機器会社を辞めて友人と3名で新会社を設立し創業。生命維持装置や手術関連機器の輸入、販売、メンテナンスを主に業務を拡大。創立24年後に東京株式市場ジャスダックに株式を上場。
60歳に創業時の計画どうり退職。
プロフィール後記
「何をしたのかが大事である」という言葉を受けて、越し方を振り返りながら自分の輪郭を描いてみました。しかし読み返してみますと「何をしたのか」ではなくて「何をしてたのだ」という思いの方が強いという皮肉な結果となりました。
青蓮心流
井村 一洲